帰省するわが子を待つ時間は、いつだって待ち遠しく気ぜわしい。まして、12年ぶりとなればなおさらのこと。
今日はホームカミングデー、30歳になった東粋会のみなさんが母校に里帰りする日だ。「若い人達の集まりなので、肉や揚げ物をメインにお願いします」と、オードブルを注文し、図書館では書庫から卒業アルバムを出して見せてもらう。ついでに司書の先生にお願いして、図書館だより『栂(とが)』を一束ちょうだいする。最新号は「三十郎伝説」と銘うって、山形東高が誇るレジェンド、教職歴50年超にしてバリバリの現役国語教師・武田三十郎先生へのインタビューを特集しているのだ。東粋会のみんなが見たら、きっと喜ぶだろうな。
午後3時。なつかしい顔がそろった。浜田同窓会長のご挨拶、乾杯に続いて、近況報告のトップバッターは学年主任の平正明先生。
「あのぅ、だいぶ年をとりまして、あの頃よりもっとぼけております。医者通いも増えて、内科に整形外科に歯医者、……あと、どこだっけ。」(笑)
「ハァ。」(笑)
「家族からは『ため息ばかりつくな』と言われてます。」(笑)
いつもながらの眼鏡の奥のやさしい目、飾らぬとつとつとした話ぶり。一気に座がほころんだ。卒業してから今日までの事後&近況報告が、次々と語られる。
――結婚し、子供が生まれ、親となり、わが子を育てる環境を考えた時に、自分が育った故郷の風景がかけがえのないものに思い返されて、Uターンを決意したという者。
――海外への赴任をひかえ、今まで東日本大震災の被災地で培ってきた仕事の経験を、国際的な規模での貢献に生かしていこうとする者。
――立ち止まって自分を見つめ直し、四季が織りなす自然の美しさにもてなしの心を添えて、山形の魅力を発信することにやりがいを見い出した者。
――家族になろうと決めた時、どちらの故郷に住むか二者択一を迫られ、故郷争奪戦に負けてしまった悔しさを、しあわせそうに語る者。
テーブルのオードブルも飲み物も、いっこうにはかどらない。しんとして仲間の話に聞き入っている。何度も深くうなずいている。「わかる、わかる」とささやき合っている。人生の岐路がぎっしりと凝縮された二十代。16人の仲間が語る、起伏に富んだ16の物語は、その一つ一つが、自分の物語でもあったのかもしれない。
四方を山に囲まれた山形。ここから新たな土地をめざすにしても、ここに帰るにしても、私たちは峠を越えなければならない。詩人・真壁仁は、「峠は決定をしいるところだ。峠には訣別のためのあかるい憂愁が流れている。」とうたった。
「30歳」という人生の一つの峠。その峠にたどり着いた彼らもまた、いくつかの「決定」と「訣別」を経験し、いくばくかの「あかるい憂愁」を味わってきたのではないだろうか。自分の力だけで一気に登り切れた十代とは違い、報われない努力に、うちひしがれた日もあったかもしれない。行く手を見失いかけて、不安になった日もあったかもしれない。でも、そんな日がいつしか旅人に、強くしなやかな健脚を授けてくれたのかもしれない。
「写真を撮ろうや」誰からともなく声がかかり、仲よく並んで――カシャ。
夏の昼下がり、若き旅人達が「30歳」の峠で再会した、記念の一枚。