昼近く、薄日がさして道路があまけてきた。寒気が緩んで雪が解けかかることを、山形では「あまける」と言う。ペンギンみたいによちよち歩きしなくても、今ならどしどし歩けるぞ!と、思い立って、熊野神社に絵馬を見に行くことにした。
新築西通りを北に、名物どんどん焼き屋の角を左に折れて、神社の参道に入る。社殿正面、その左右に巨大な絵馬。左が山東美術部の絵馬だ。地域への貢献活動で制作しているもので、今年で四年目になるという。
初日を背に川瀬を水しぶきをあげて、「干支、只今参上!」と言わんばかりに、紅白のしめ飾りをたすきに掛けて突進してくるイノシシ。その後ろを二頭のかわいいうり坊が駆けてくる。
美術室で見せてもらった時は、畳一帖ほどもあって「でかい!」と思ったが、ここでは社殿の一角にきっちり収まっている。下向きで寂しげに見えたイノシシの目も、見上げる参拝者をまっすぐに見据えて、勇猛果敢に突進してくる様子を臨場感いっぱいに表している。川岸には竹、椿、菊の花も描かれ、初春らしい清新さと華やぎを添えている。
――なにより違っているのは、絵馬が放っている「威厳」だ。
美術室にあった一枚の絵は、この社殿にあっては見事なまでに奉納絵馬としての存在感を放ち、手を合わせずにはいられない対象に変貌している。絵馬としての命を吹きこまれたイノシシは、この一年、老若男女の願いを託されることになるだろう。
ほんの一カ月ほど前、私はイノシシを見た。白昼、しかもわが家の茶の間から。一服していて何気なく外に目をやると、突然、二頭の生き物が現れた。「まさか」と思った。
が、茶色のずんぐりした体つき、短くて太い首、とがった鼻先。その横に突き出た牙!
――イ、イ、イノシシだぁ!
畑に積んであった燻炭を掘り返し、田んぼの落ち穂をあさり、あたりを警戒するしぐさなのか、ひょいと上げた鼻先は燻炭にまみれて真っ黒。怖いけど、滑稽すぎる。もう小腹を満たしたのか、道路を横切って隣家の畑へと飛び跳ねていく。畑では奥さんが農作業をしていたはずだ。急を告げるべく駆け出して、玄関先で説明しかけたのと、畑から悲鳴が聞こえてきたのが、一緒だった。翌日から四時きっかりに、イノシシは仲よく連れだって現れるようになった。
しかし、その日はいつもと違った。国道沿いにパトカーがものものしく並び、大音量でイノシシの出没を警告して回り、威嚇する花火の爆発音が響き渡った。その日を境に、イノシシは現われなくなった。
師走に入り、蕎麦の会に出かけた。蕎麦の会とは、耕作しきれなくなった田に蕎麦を栽培している仲間の会で、種まきなどの作業を共同でこなす。それも難儀になった仲間から脱会の話があり、新蕎麦に舌鼓を打ちながらも、しんみりした会になった。
場の空気が一変したのは、話がイノシシに移った時だ。あの日のパトカー騒ぎは、イノシシが国道を走る車に体当たりして起こした事故のためであり、他にも仕留められたり罠にかかったりして、イノシシ駆除は一気に進展したという。
それを聞いて、山の畑に門松の材料を採りに出かける気になった。山際のなだらかな畑に柿の木を植えたのは、冬場の収入を得るためだったというが、今では放置され鈴なりなった柿が、初冬の青空に美しく映えているだけだ。畑をのぼりきった雑木の中に、ゆずり葉と笹が生えているはずなのだが、倒木が縦横に立ちふさがり先に進めない。なんとか隙間から手を伸ばして採り終えて、畑を下ろうと体の向きを変えたとたん、視界に飛び込んできたのは、冠雪をいただいた蔵王連山と、見慣れぬ集落の姿。
蔵王の裾野のように広がっていたかつての田園風景は、宅地造成が進みカラフルな家並みに縁どられ、片や山際には点在する耕作放棄地。ビニールハウスの残骸、雑草の生い茂る畑、収穫されないままの果樹。イノシシには、餌が楽に手に入るなわばりが広がったとしか見えない風景である。
イノシシは新しいなわばりとなった人里に出かけ、田畑の作物を食いあさり、日に日に行動範囲を広げ、何にでも元気よく「猪突猛進」していった。そしてあの日、最後に突進してしまったのは、鋼で覆われた強大すぎる疾走物体だった。
人間社会をなわばりと錯覚し、入り込み過ぎたがために命を落としたイノシシ。習性のままに突進し自滅した姿に身がつまされ、人間のもたらした里山の環境変化に順応したあげくに、しっぺ返しを受けたイノシシが哀れでもある。
拍手(かしわで)を打ち、もう一度、絵馬を見上げる。
――イノシシの目には、さまざまな願望を託して一心に祈る人間の姿がどんなふうに映っているのだろう。
寂しげに見えた第一印象も、あながち的外れでなかったような気がしてくる。