奉公旗、80年目の物語

 紅葉した蔵王連山を背に、山形市街を一望する丘にそびえ建つ大きな三角屋根。稜線が織りなす美しいモザイク模様を映し出す澄みきった人工池。湖面に浮かぶ能舞台を右手に眺めながら、東北芸術工科大学の本館へといざなう鏡橋をゆっくりと渡る。受付で案内を乞い、文化財保存修復研究センターをめざす。今日はそこで「奉公旗」の修復作業を見学させていただくことになっている。

 昭和12(1937)年5月、故郷に錦を飾った大蔵大臣・結城豊太郎(山形中学9回・明治29年卒、後に日銀総裁)は母校を訪問し、講堂に整列した生徒達を前に演壇に立った。講演なかば話は『論語』へと移り、
 「『朋あり遠方より来る亦楽しからずや』という言葉があるが、これはお土産を持って来てくれるから楽しいので、私も何かお土産を持って来なければ、弟達に合わせる顔がないので、これを持ってきました。」(『共同会雑誌』第69号・昭和12年度発行、結城豊太郎蔵相来校記念号「講演速記」による)
と言って、差し出したのは一本の白旗であった。
 一面には「奉公」、もう一面にはクラーク博士の言葉を引用した「Boys! Be Ambitious」が黒々と書かれてあった。中国大陸での対立が激化し、「義勇奉公」「滅私奉公」の声が日増しに高まりつつあった、まさに大戦前夜。「奉公」と「Boys! Be Ambitious」――、相反するようにも思えるこの二つの言葉に、結城はどんな思いを込めたのだろうか。

 話は自らの中学時代へと遡り、経済への関心は経済原論の一冊の洋書との出会いから培われたものであり、志を立てることの大切さを説き、最後は
「今、私どもは懸命に働いている最中だが、将来の日本は今よりもっと難しい時期がくるだろう。今は一生懸命に学生としての勉強をすればそれでよい。余計なことを考えてはならない。頭を養い、体を養って賢い明るい頭を以って世間に出ていただきたい。将来の日本をあなた方によって背負っていただきたい。再び、この旗のことを繰り返すが、公のために奉じていただきたい。これが私の母校へのお土産です。」
と結んだ。それから講演を終えた結城は国旗掲揚台への揮毫を乞われ、「至誠奉公」としたためた。
 ――賢く明るい頭をもって己の信じる誠を貫き公に尽くす精神と、進取果敢にして自立した開拓精神と。時代を超えて求められるべき不変の若者像を、結城は国難の時代に立ち向かっていく後輩達に託したと言えるのではないだろうか。

 寄贈から80年。「奉公旗」は大切に保管されてきたものの、細片がぽろぽろとこぼれ落ち取り出せない状態になっていた。母校にとって意義ある歴史資料を、このまま朽ち果てさせてしまうわけにはいかないという思いから、修復保存に向けた取り組みが始まった。作業は、東北芸術工科大学で日本画の修復を手がけていられる大山龍顕先生と、染織保存の専門家・山崎真紀子先生のご協力により着々と進められ、この日の見学会を迎えることとなった。

 研究センター3階にある東洋絵画修復室の扉を開けると、畳敷きの広い部屋には座卓の作業台が並びその一角に、縫い目がほどかれ一枚の布となった奉公旗と、とり外された縁飾りが置かれてあった。二つの言葉をそれぞれ何枚かの布に書き、最もうまくできた二枚を縫い合わせたと思い込んでいた私の予想は、見事に外れた。中央で折りたたまれ、中には滲み防止と補強のための芯地まで入っていたという。ということは、すでに仕立てあがっていた白旗に一気に筆を走らせたことになる。
 失敗は許されないはずが、「奉公」と書いたところでハプニングは起きた。その時の様子を結城はこう打ち明けている。
 「『奉公』を書いた時、墨がポツンと落ちた。その処置に困り何か埋めてやろうとして埋めた。閣議で署名する時の字である。閣議では判を用いず書判する。私はそんな字を知らないのでありますから、一つの型破りであるが私の署名は豊の字である。この署名を墨の落ちた所にしたのであります。」        
 一発勝負だったがゆえの慌てぶり。どのあたりがポツンの一滴だったのだろうか。大臣がぐんと身近に感じられて、苦肉の「豊」に目が釘付けになってしまった。

 この日、見せていただくのは「補絹」という作業である。すでに旗には裏打ちが施され、墨が濃い部分ほど欠損が無数に点在していることが明らかである。その複雑で細かな形のひとつひとつにトレース紙をあててなぞり、墨で染めた絹を同じ形にカッターで切りぬいて、糊を塗り、嵌め込んでいく。
 まるで極細版のジグソーパズルだ。作業をされている大山先生の指先に、全神経が注がれているのがわかる。見学している私達も、思わず肩に力が入る。ようやくぴたりと嵌め込まれると、緊張が解け「ほーっ」とため息が漏れる。すべての欠損が埋め尽くされるまで、何度これが繰り返されることだろう。
 嵌め込む絹は、墨で染めた後でオーブンで焼きわざと劣化させた物だそうで、触ってみるとほとんど紙に近く簡単に破れた。新しい絹を嵌め込んでしまうと、劣化したオリジナル部分となじまず、かえって損なうことにもなりかねないのだそうだ。奉公旗が経てきた80年の歳月を、オーブンの燃焼時間で再現し、劣化の歩調を合わせたというわけか。単に新しい部品と交換するのとはちがって、修復には時間の再現が求められることに驚いた。

 静まりかえった部屋で、神経を研ぎ澄まし、繰り返される手作業。まさに修復というひとつの「作品」が生み出されていくのを、私達は見ている。こうして知恵を駆使し手間暇かけて作り出された「作品」を、保存し守っていく責任は重い。劣化を防止するには、どんな乾燥剤や防腐剤を使えばいいのだろうか。専用品があるにちがいないと期待して、大山先生に聞いてみた。
 「修復していただいた奉公旗を保存していくには、どうしたらいいのでしょう?」
 簡単明瞭な答えが返ってきた。
 「人間が気にかけて、時々見てやることです。」
 なんだ、特別なことはしなくていいのか――。ちょっと拍子抜けした気もしたが、簡単なことほど持続するのは難しく、大切な物ほどしまいっぱなしにしないというパラドックス、大山先生の言葉は奥が深い。
 ――時間とともに劣化は進む。自然の劣化を止めることはできないが、時々取り出しては、広げて風にあてる。愛着を持ち、手をかけて、見守り続ける。それができるのは、人間しかいないということなのだろうか。

 アンチエイジング商品が巷にあふれる高齢化社会。とびかう宣伝文句にすがり、老化防止の万能薬をさがし求めて血まなこになっているうちに、すっかり視野が狭くなりかけていた目から、ウロコがぽろぽろ落ちた一日だった。